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加賀宝生のすべて(石川県立美術館) All about Kaga-Hosho (Ishikawa Prefectural Museum of Art)

 

江戸時代、能は武家の行事には欠かせない”式楽”とされ、将軍家を始めとして各地の大名もお抱えの能楽師を抱えて、保護していた。

加賀の前田家には、加賀宝生と言われる能楽の伝統があり、多くの能面や能衣装などを持っていたが、明治期以降の混乱などでその多くが失われた。

この展覧会には、前田家に残っていた前田育徳会のものと、現在は根津美術館、野村美術館、畠山記念館、松坂屋、高島屋などが収蔵している能衣装がまとめて展示されて、古の加賀宝生の煌びやかな能文化が再現された。

加賀藩で能楽が盛んになるのは、第5代綱紀の頃で、徳川家5代将軍の綱吉に能を舞うことを強要され、慌てて宝生家に指導を頼んだのがきっかけだったという。

その稽古の将軍綱吉の前で、水戸光圀をはじめとした御三家の大名とともに、前田綱紀も立派に舞うことができたという。

当時の大名たちが、身分の低い能楽師の指導で必死に能の稽古を行なっていたシーンを想像すると苦笑してしまう。

明治になって狩野芳崖が東京美術学校の教材に使うためにと前田家の能衣装のデザインを模写した資料も展示されていて、実際の能衣装と比較できてとても興味深かった。

During the Edo period, Noh was regarded as an indispensable “ceremonial music” for samurai events.

The Maeda family of Kaga had a tradition of Nohgaku called Kaga Hosho, and had many Noh masks and costumes, but many of them were lost due to the turmoil after the Meiji period.

In this exhibition, the costumes of the Maeda Ikutokukai, which remained in the Maeda family, and the Noh costumes that are currently in the collection of Nezu Museum, Nomura Museum, Hatakeyama Memorial Museum, Matsuzakaya, Takashimaya, etc. The gorgeous Noh culture of ancient Kaga Hosho has been reproduced.

Noh became popular in the Kaga Domain around the time of the 5th, Tsunayoshi, who was forced to perform Noh by Tsunayoshi, the 5th shogun of the Tokugawa family.

It is said that Tsunanori Maeda was able to dance splendidly in front of Shogun Tsunayoshi during the training, along with Mito Mitsukuni and other feudal lords.

Imagining scenes in which daimyos at that time were desperately practicing Noh under the guidance of low-ranking Noh performers makes me smile wryly.

In the Meiji era, Hogai Kano copied the design of the Maeda family's Noh costume for use in teaching materials at the Tokyo School of Fine Arts, and it was very interesting to be able to compare it with the actual Noh costume.






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