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永福寺と鎌倉御家人(神奈川県立歴史博物館) Eifukuji Temple and Kamakura Gokenin (Kanagawa Prefectural Museum of Cultural History)

 

かつて、鎌倉の中心から見て東北のあたりに、永福寺という巨大な寺院があった。

源頼朝が、平泉の藤原氏を滅した後で、その戦いで亡くなった人々の魂を沈めるという意によって建てられた寺院と言われている。

その寺院は、源頼朝が平泉の地で目にした中尊寺な毛越寺などの巨大な寺院に驚き、それをモデルにしたようだ。

会場には発掘作業によって発見された経塚、瓦、柱などが展示されていた。現地の写真もあったが、今は跡形もなく、かつてその場所に大寺院があったようには到底見えない。

成立したばかりの鎌倉幕府は、それまでの日本の中心だった京の都をモデルにしていたことは容易に想像ができる。しかし北の王国、藤原氏が築いた平泉にも文化的に影響を受けていたということは、新鮮な驚きだった。

鎌倉幕府は京都から有名な音楽師を招いて、舞楽などを永福寺などの寺院で行った。仏教の思想を民衆にわかりやすく伝えるためもあったとのこと。

そうした際に用いられたと考えられている舞額面も展示されていた。それらは、正倉院に収められているのとそっくりで、伝統がそのまま引き継がれていたことがわかる。

永福寺の研究が今後進むにつれて、これまでとは違った鎌倉時代の姿が新たにわかってくるのかもしれない。

Once upon a time, there was a huge temple called Eifuku-ji in the northeastern part of Kamakura.

It is said that Minamoto no Yoritomo built this temple after defeating the Fujiwara clan in Hiraizumi to bury the souls of those who died in the battle.

The temple seems to have been modeled after Minamoto no Yoritomo, who was surprised by the huge temples such as Chusonji and Motsuji that he saw in Hiraizumi.

At the venue, sutra mounds, roof tiles, pillars, etc. discovered during the excavation work were exhibited. There were also photographs of the site, but now there is no trace of it, and it does not look like there used to be a large temple there.

It is easy to imagine that the newly established Kamakura shogunate was modeled on Kyoto, the capital of Japan until then. However, it was a fresh surprise that Hiraizumi, which was founded by the Fujiwara clan, was also culturally influenced.

The Kamakura shogunate invited famous musicians from Kyoto to perform bugaku and other performances at temples such as Eifuku-ji Temple. It is said that it was also to convey the thoughts of Buddhism to the people in an easy-to-understand manner.

A dance face that is thought to have been used on such occasions was also on display. They look exactly like those stored in the Shosoin, and you can see that the tradition has been handed down as it is.

As research on Eifuku-ji Temple progresses in the future, it may be possible to gain a new understanding of what the Kamakura period looked like in the past.










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