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京都・智積院の名宝(サントリー美術館) Treasures from the Chishakuin Temple in Kyoto (Suntory Museum of Art)

  京都の智積院は、以前一度訪れたことがある。 宝物館に意外と無造作に展示されていた長谷川等伯とその一門の障壁画と、美しい庭園の印象が強く記憶に残っている。 この展覧会で、再びその障壁画と再開することができた。 他にも弘法大師像、張即之が書いた金剛経、両界種子曼荼羅図などの多くの名宝が展示されていて、とても興味深く観るすることができた。 また、これまで知らなかった智積院のことをよく知ることができた。 智積院はもともとは高野山の麓の根来寺の境内にあった。しかし豊臣秀吉によって根来寺が滅ぼされてしまい、その後、徳川家康によって京都に現在の地を与えられたという。 成田山新勝寺や川崎大師は、この智積院の系列の寺であることもこの展覧会で初めて知った。 いつか、再び京都の智積院を訪れて、あの美しい庭園をまた見てみたいと思いながら会場を後にした。 I have visited Chishaku-in Temple in Kyoto once before. The wall paintings of Tohaku Hasegawa and his family, which were unexpectedly casually displayed in the Treasure Museum, and the beautiful garden left a strong impression on me. In this exhibition, I was able to resume with the wall paintings again. In addition, many famous treasures such as the statue of Kobo Daishi, the Kongo Sutra written by Zhang Sokuji, and the Seed Mandala of the Two Worlds were on display, and I was able to see them with great interest. Also, I was able to learn a lot about Chishaku-in Temple that I had not known before. Chishaku-in Temple wa
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ピカソ 青の時代を越えて(ポーラ美術館) The Blue Period and Beyond (Pole Museum of Art)

  今年は、ピカソ展が何度も開催された。その最後に訪れたのが、このポーラ美術館での展覧会だった。 青の時代、というタイトルが付いているが、展示されていたのは、バルセロナ時代の初期の作品から、晩年に至るまでの生涯にわたる作品だった。 青の時代に代表される初期の作品は、その後ろに以前描かれた別な作品の上に描かれていて、そうした研究結果も展示されていたので、”青の時代を超えて”という展覧会名になったようだ。 この展覧会は、ポーラ美術館とひろしま美術館との共同開催で、その2つの美術館からの展示が多かったが、他にも大原美術館や東京ステーションギャラリー、バルセロナのピカソ美術館やカタルーニャ美術館などからも作品が出展されていた。 ピカソという画家は決してとても好きな画家というわけではないが、展覧会があるとどうしても足を運んでしまう。 作品の中では、初期の時代のサルタンバンクを描いた作品や、闘牛の様子を描いた黒い版画作品が好きだ。 ピカソは、若い頃は青の時代に貧しい親子の絵を描いたり、サルタンバンクなどの放浪の旅芸人たちを描き、そうした貧しい人々や虐げられた人々への共感を持っていた。 しかしパリで成功してからは、ゲルニカなどの作品はあるが、若い頃の気持ちは失ってしまったかのように見える。 果たしてピカソは莫大な富を手にして、貧しい人々への共感を忘れてしまったのか。あるいは心の中では後ろめたい気持ちを抱いていたのだろうか。 Many Picasso exhibitions were held this year. The last thing I visited was this exhibition at the Pola Museum of Art. Despite the title Blue Period, the works on display were from his early years in Barcelona to his later years. The early works represented by the Blue Period were drawn on top of other previously drawn works behind them, and the results of such research were also exh

Flower of Life 生命の花(ヴァンジ彫刻庭園美術館) Flower of Life (Vangi Sculpture Garden Museum)

  この美術館は、以前に一度訪れた事があった。 庭園が美しい美術館として知られるが、その際は生憎の雨模様で、足早に見学した記憶が残っている。 その後、改めて訪れてみたいと思っていたが、ついにその機会を得ることができた。 今回は、庭園のあちこちに展示されているイタリアの彫刻家ジュリアーノ・ヴァンジの作品を、十分に堪能することができた。 ヴァンジはフィレンツェの郊外の町で生まれ、幼い頃からフィレンツェで数多くの芸術作品を目にしてやがて彫刻家を志した。 ヴァンジの作品は人物像が多い。ユニークな印象の作品もあるが、シリアスな印象の作品もある。 限りある命を持った人間が、この世に生きていくということの悲哀と困惑。そのうちの一瞬がヴァンジの作品の中に永遠に閉じ込められているように感じられた。 館内には、奈良美智、須田悦弘、川内倫子、クリスティアーネ・レーアなどの作品も展示されていた。 この美術館は、2022年に開館20周年を迎えたとのことだが、残念ながら閉館が検討されているという。 わずか2度しか訪れていないが、日本に数ある美術館の中でもとりわけ存在感があり、文字通り唯一無二の存在と言っていい。 経済的な課題など様々な問題があるのだろうが、是非とも存続して、再び訪れることができるようになってほしい。 I have visited this museum once before. It is known as an art museum with a beautiful garden, but I remember visiting it in a hurry because it was raining. After that, I wanted to visit again, and finally got the chance. This time, I was able to fully enjoy the works of the Italian sculptor Giuliano Vangi displayed throughout the garden. Born in a town on the outskirts of Florence, Vangi saw many works of art in Florence from an early age and

伽耶(国立歴史民俗博物館) Kaya (National Museum of Japanese History)

  日本の古墳時代とほとんど重なる3世紀から6世紀にかけて、朝鮮半島の南の端の地に、伽耶と呼ばれる国があった。 日本と海を面して近くにあったことから、伽耶は古代の日本と深い関係を築いていた。 そのかつての伽耶の地で見つかった様々な考古学資料から、その姿を探ろうとする展覧会が、千葉県佐倉の国立歴史民俗博物館で開催された。 伽耶の国では鉄の生産が盛んで、日本にもその技術が伝えられたと考えられている。 また、硬い陶器の須恵器、馬の飼育や治水の技術なども伽耶経由で日本に伝わったようだ。 伽耶は562年に滅亡し、その地域は新羅の領土となった。 その際には、日本にも多くの人々が避難して、平安時代の記録には10の氏族が祖先の名とともに記されているという。 今はもうない、かつての伽耶王国の姿を垣間見て、言いようのない歴史のロマンを強く感じた。 From the 3rd century to the 6th century, which almost overlaps with Japan's Kofun period, there was a country called Kaya on the southern tip of the Korean Peninsula. Due to its proximity to Japan facing the sea, Kaya had a deep connection with ancient Japan. An exhibition was held at the National Museum of Japanese History in Sakura, Chiba Prefecture, to explore the various archaeological materials found in the former land of Gaya. Iron production was thriving in Kaya, and it is believed that this technology was introduced to Japan. In addition, it seems that hard pottery Sue ware, horse breeding and flood control tech

走湯山と伊豆修験(國學院大学博物館) Shugendo in the Izu Peninsula (Kokugakuin University Museum)

  現在の熱海の地にある伊豆山神社は、かつては走湯権現、伊豆権現と呼ばれて、修験道が盛んな東国有数の霊場だった。 『続日本紀』では、修験道の開祖である役行者は伊豆の地に流されたとされている。 そのせいか、伊豆地には数多くの修験道者が修行に励んでおり、走湯権現はそうした人々の信仰を集めていたという。 この展覧会では、伊豆地における修験道の足跡を辿る貴重な資料が展示されていた。 修験道者たちは、伊豆半島を曼荼羅に見立ててその山野を巡っていたという。 不意に、川端康成が『伊豆の踊子』で描いた伊豆の旅芸人のことを思い出した。 この展覧会から、伊豆という地に古代から現代まで続く壮大な時間の流れを感じることができた。 Izusan Shrine, located in present-day Atami, was once known as Hashiyu Gongen or Izu Gongen, and was one of the most sacred sites in the eastern part of Japan where Shugendo was popular. In "Shoku Nihongi", it is said that En no Gyoja, the founder of Shugendo, was exiled to the land of Izu. Perhaps because of this, many Shugendo practitioners practiced hard in Izu, and Hashiriyu Gongen is said to have attracted the faith of such people. In this exhibition, valuable materials that trace the footsteps of Shugendo in Izu were displayed. It is said that Shugendo practitioners used the Izu Peninsula as a mandala and traveled around the mountains and fields. I suddenly remembered

大竹伸朗展(東京国立近代美術館) Shinro Ohtake (National Museum of Modern Art, Tokyo)

  大竹伸朗の作品を初めて目にしたのは、横浜トリエンナーレだっただろうか。 2006年以来の大回顧展ということだが、残念ながらその2006年の展覧会は見ていない。 今回行われた展覧会では、500点以上の作品が展示されていた。内容というより、量で圧倒しようという趣の展覧会だった。 大竹の作品は、思想とか背景とか、頭の中で難しいことを考えることなく、素直にその前に立つことを求めてくる。 この展覧会のことは色々なテレビ番組で紹介されていたが、その多くの大竹本人が出演して展覧会を宣伝していた。 会場には特設のグッズ売り場も大々的に設置されていて、アートの展覧会というより一つのエンターテイメントという感じもした。 そうした節操のなさも、大竹伸朗というアーティストの一面でもあるのだろう。 I think the first time I saw Shinro Ohtake's work was at the Yokohama Triennale. This is the first major retrospective exhibition since 2006, but unfortunately I have not seen the 2006 exhibition. The exhibition featured more than 500 works. Rather than the contents, it was an exhibition that tried to overwhelm with the quantity. Ohtake's work asks you to stand in front of it without thinking about difficult things in your head, such as thoughts and backgrounds. This exhibition was introduced on various TV programs, and many of them were advertised by Ohtake himself. There was also a large special merchandise store set up at the venue, and i

兵馬俑と古代中国(上野の森美術館) Terracotta Warriors and Ancient China (Ueno Royal Museum)

以前、別な展覧会で、始皇帝陵の兵馬俑を見る機会があったが、1点か2点程度だったように記憶している。 この展覧会では、8点の兵馬俑が展示されていて、その壮観な眺めを楽しむことができた。 一人一人の表情や着ている服、持っている武器なども違っている。全部で8000体あるという兵馬俑を作るのに、一体どれだけの職人や期間が必要だったのだろうか。 秦の時代に続いて、漢の時代の兵馬俑なども展示されていた。 サイズは秦の時代に比べて小さくなっているが、明らかに秦の時代からの技術の継承が感じられる。 兵馬俑以外にも、秦の時代の様々な青銅器や、漢の時代の陶器なども展示されていて、権力者だけではなく、古代中国で暮らしていた人々にも思いを馳せることができた。 中でも目を惹きつけられたのは、秦の時代の文字が描かれた木簡だった。当時の行政文書ということだが、今でも書かれている文字がはっきりと見えて、2000年という時の流れを感じさせさない素晴らしい状態で保存されていることに感動を覚えた。 Previously, I had the opportunity to see the terracotta warriors in the Mausoleum of the First Emperor at another exhibition, but I remember seeing only one or two of them. In this exhibition, 8 terracotta warriors were displayed and I was able to enjoy the spectacular view. Each person's facial expression, the clothes they wear, and the weapons they carry are different. How many craftsmen and how long did it take to make a total of 8,000 terracotta warriors? Following the Qin dynasty, the terracotta warriors and horses of the Han dynasty were also on d