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10月, 2022の投稿を表示しています

時を超えるイヴ・クラインの想像力(金沢21世紀美術館) The Timeless Imagination of Yves Klein (21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa)

イヴ・クラインは前からとても好きなアーティストだったので、楽しみにしていた展覧会。 イブ・クラインの作品とともに、同時代に活動したルーチョ・フォンターナ、ピエロ・マンゾーニ、具体の白髭一雄、元永定正、草間彌生、さらに現代のキム・スージャなどの作品も合わせて展示されていた。 会場は、イブ・クラインの制作のテーマに合わせて、非物質的な金、身体とアクション、音楽とパフォーマンス、火、色と空間、白と空虚、青の顔料、などのコーナーで構成されていた。 クラインは、母国のフランスにいた頃から柔道を学び、1962年には日本で4段位を得ている。柔道以外の日本の文化にも興味を持っていたようだ。 また、薔薇十字団にも入会しており、神秘主義にも興味を持っていた。 そうしたことは、クラインの制作のテーマの背景になっているように感じた。 クラインが最初に公に作品を発表したのは1955年。モノクローム作品をサロンに出品しようとして拒否されて、別に個展を開いたのが最初だった。 そして、パリで心臓発作のために亡くなったのは1962年。 アーティストとしての活動期間はわずか7年ほどに過ぎないが、この展覧会で目にしたその活動範囲の多彩さや、他のアーティストたちへの影響を考えると、イブ・クラインという存在の偉大さを改めて実感した。 Yves Klein has been a favorite artist for a long time, so I was looking forward to this exhibition. Along with the works of Yves Klein, works by contemporary artists such as Lucio Fontana, Piero Manzoni, Kazuo Shirahige of Gutai, Sadamasa Motonaga, Yayoi Kusama, and contemporary Kim Sooja were also on display. The venue consisted of corners such as immaterial gold, body and action, music and performance, fire, color and space, white and empt

加賀宝生のすべて(石川県立美術館) All about Kaga-Hosho (Ishikawa Prefectural Museum of Art)

  江戸時代、能は武家の行事には欠かせない”式楽”とされ、将軍家を始めとして各地の大名もお抱えの能楽師を抱えて、保護していた。 加賀の前田家には、加賀宝生と言われる能楽の伝統があり、多くの能面や能衣装などを持っていたが、明治期以降の混乱などでその多くが失われた。 この展覧会には、前田家に残っていた前田育徳会のものと、現在は根津美術館、野村美術館、畠山記念館、松坂屋、高島屋などが収蔵している能衣装がまとめて展示されて、古の加賀宝生の煌びやかな能文化が再現された。 加賀藩で能楽が盛んになるのは、第5代綱紀の頃で、徳川家5代将軍の綱吉に能を舞うことを強要され、慌てて宝生家に指導を頼んだのがきっかけだったという。 その稽古の将軍綱吉の前で、水戸光圀をはじめとした御三家の大名とともに、前田綱紀も立派に舞うことができたという。 当時の大名たちが、身分の低い能楽師の指導で必死に能の稽古を行なっていたシーンを想像すると苦笑してしまう。 明治になって狩野芳崖が東京美術学校の教材に使うためにと前田家の能衣装のデザインを模写した資料も展示されていて、実際の能衣装と比較できてとても興味深かった。 During the Edo period, Noh was regarded as an indispensable “ceremonial music” for samurai events. The Maeda family of Kaga had a tradition of Nohgaku called Kaga Hosho, and had many Noh masks and costumes, but many of them were lost due to the turmoil after the Meiji period. In this exhibition, the costumes of the Maeda Ikutokukai, which remained in the Maeda family, and the Noh costumes that are currently in the collection of Nezu Museum, Nomura Museum, Hatakeyama Memorial Museum, Matsuzakaya, Takas

アトゥイ - 海と奏でるアイヌ文化(石川県立歴史博物館) Atui : Ainu Culture Harmonized by the Sea (Ishikawa Prefectural Museum of History )

  アイヌと言えば、江戸時代は北海道の内陸で生活していて、外の地域とは孤立していたというイメージが強かった。 この石川県立歴史博物館で行われた展示会では、アイヌの人々の漁猟生活の様子、そして江戸時代の北前船などを通じて行われたアイヌと北陸地方との交流が紹介されていた。 イクパスイという、細長い板上の祭祀具には、イカや魚や船などが表面に彫刻されていて、アイヌの人々の海との暮らしが想像できる。 江戸時代に盛んだった北前船では、アイヌの人々との交易品とともにその文化も北陸の地にもたらされた。 アットゥシと言われるアイヌの人々の衣服は、耐水性や速乾性に数れていて、北前船に乗る船員の標準服のようになっており、当時の船絵馬にもその様子が描かれている。 アイヌの人々が神への祈りに使っていたイナウは、儀礼品として和人にも献上されて、そうしたイナウを地元の神社に奉納したものが、今も残っていて何点か展示されていた。 どれもこれまであまり知らなかったことばかりで、展示会場を巡りながら、とにかく驚きの連続だった。 Speaking of Ainu, there was a strong image that they lived inland in Hokkaido during the Edo period and were isolated from the outside area. The exhibition held at the Ishikawa Prefectural Museum of History introduced the fishing and hunting lifestyles of the Ainu people, as well as the exchanges between the Ainu and the Hokuriku region through Kitamae-bune ships in the Edo period. Squid, fish, and boats are carved on the surface of long, thin plates of ritual implements called ikupasui, and I could imagine how the Ainu people lived with the

ジャンルレス工芸(国立工芸館) Genreless Kogei (National Crafts Museum)

  国立工芸館は、かつては東京の北の丸公園の中にあった。竹橋の国立近代美術館に行った際に、ついでによく立ち寄っていた場所だった。 それがこの金沢の地に移転して、2020年に新天地での新たなスタートを切った。 一度は訪れてみたいと感じながら、ようやく今回、足を運ぶことができた。 北の丸時代の工芸館は、赤煉瓦が印象的なかつての旧近衛師団司令部庁舎をリノベした建物だったが、この新しい工芸館も、金沢にあった旧陸軍の建物を再利用している。 かつて中国を中心としたアジア各地で数え切れないほどの建物や工芸品を破壊した旧陸軍の建物を、引き続き工芸館に使い続けるというのは、何とも言えない皮肉のように感じる。 さて、ここを訪れた時は、ジャンルレス工芸という、コレクション展が行われていた。 陶器、ガラス器、着物など、工芸のジャンルに囚われない様々な工芸品が、デザインと現代アートという2つのコーナーに分けられて展示されていた。 作り手も多彩で、富本憲吉、河井寬次郎、濱田庄司、四谷シモン、三島喜美代などから、現在活動する若い工芸家まだ、色々な作家の個性が感じられる工芸品が並んでいた。 館内の一角には、石川県生まれの蒔絵師、松田権六の仕事場を再現したコーナーもあり、地元のレジェンドへのオマージュが感じられた。 The National Crafts Museum used to be located in Kitanomaru Park in Tokyo. It was a place I often visited by when I went to the National Museum of Modern Art in Takebashi. It moved to Kanazawa and made a new start in the new world in 2020. While feeling that I would like to visit once, I was finally able to visit this time. The crafts museum in the Kitanomaru period was a renovated building with impressive red bricks that used to be the former Im

大勾玉展(大田区立郷土博物館) Great Treasures, Magatama (Ota City Folk Museum)

  大田区にある宝萊山古墳が、東京都の史跡として登録されてから70周年を記念する展覧会。 宝萊山古墳は全長100メートルもある大きな古墳だが、4つのヒスイの勾玉が出土している。 そこで、全国からおよそ1,500点という膨大な数の勾玉を集めて一挙に展示するという、大きな博物館で行われても遜色がない、野心的な展覧会が行われた。 縄文時代から弥生時代へ経て、勾玉が作られなくなった古墳時代の後期まで、時代ごとに様々な勾玉が展示されたその光景は、まさに壮観そのものだった。 しかも、要所要所に、パネルで時代の特徴や、産地の特徴などが紹介されていて、提供されていた情報量の多さには、この展覧会を企画した関係者の熱の入れようが容易に想像できた。 勾玉といえば、透き通った美しい青いヒスイで作られた印象が強いが、他にも水晶や瑪瑙で作られたものもあった。 大きさも様々で、拡大鏡で見ないと形がわからないような小さな勾玉もあり、古代の人々がそんなに小さな勾玉も、大切なものとして大事に扱っていたことがわかる。 勾玉の誕生から終焉までを辿ったこの展覧会を見終わった後、壮大な大河ドラマを見終わった時のような気持ちになった。 An exhibition commemorating the 70th anniversary of the Horaizan Kofun Tumulus in Ota Ward being registered as a historic site in Tokyo. The Horaizan Kofun is a large burial mound with a total length of 100 meters, and four jade magatama have been unearthed there. Therefore, an ambitious exhibition was held in which a huge number of about 1,500 magatama were collected from all over the country and exhibited all at once. From the Jomon period to the Yayoi period, to the latter part of the Kofu

響きあう名宝(静嘉堂文庫美術館) Resonance of the Art Treasured (Seikado Bunko Art Museum)

  静嘉堂文庫美術館が、世田谷から丸の内に移転して、初めてとなる展覧会。 この美術館が誇る、曜変天目茶碗や俵屋宗達の源氏物語関屋澪標図屛風など、自慢の名宝を一挙に展示した贅沢な内容。 かつては、武蔵野の面影が残る世田谷区の岡本にあったこの美術館。自宅から歩いて行ける距離にあったために、よく通っていたとても身近な美術館だった。 それが、三菱家にゆかりのある丸の内の明治生命ビルに移転してしまい、とても残念に思っていた。 岡本にあった頃は、広大な敷地の中にあるこじんまりとした建物の美術館で、展示スペースもそれほど広くなく、それがむしろ親近感を感じさせた。 新しい丸の内の方は、ビルの1階にあり、黒とガラスを基調としたシックながら煌びやかな雰囲気の美術館に生まれ変わった、という印象。 受付から入るとイスが並んだ広いスペースがあり、その周囲の3方に展示室が並んでいるという構成。 展示スペースは、トータルでは岡本の頃よりは広くなっているのだろうが、他の美術館に比べると、それほど広くはない印象だ。 展示されていた”名宝”は、初めて目にしたものもあったが、ほとんどはこの美術館の過去の展覧会で目にしたものが多い。 地元の幼馴染の旧友に、おしゃれな大都会の街中で突然出会ったような、そんな不思議な感覚に襲われてしまった。 This is the first exhibition since the Seikado Bunko Museum moved from Setagaya to Marunouchi. This museum boasts a luxurious display of famous treasures such as the Yohen Tenmoku tea bowl and Tawaraya Sotatsu's folding screen of the Genji Monogatari Sekiya Miozu screen. This art museum was once located in Okamoto, Setagaya Ward, where vestiges of Musashino still remain. It was a very familiar museum that I often visited because it wa

鑑真和上と下野薬師寺(栃木県立博物館) Ganjin Wajyo and Shimotsuke Yakushi Temple (Tochigi Prefectural Museum)

栃木県立博物館の開館40周年記念特別企画展。 創建が飛鳥時代に遡るという古刹、下野薬師寺に焦点をあてて、日本に本格的な仏教を伝えた鑑真和上を始めとした、この寺にゆかりの名僧との関係も紹介した大規模な展覧会。 テーマが飛鳥時代などの古い時代ということもあって、多くの国宝や重要文化財が展示されて、とても見応えのある、重量級と言える内容だった。 栃木県の龍興寺にある、鑑真和上が将来したと伝わる仏具が展示されていた。鎌倉時代の作で勿論実物ではないが、そう信じてこれまで大切に保存されてきたということに、この地における信仰の深さを感じる。 称徳天皇と関係にあったとされて、やがてその地位を失った道鏡は、下野薬師寺に左遷されてこの地で亡くなったことを、この展覧会で初めて知った。 日光開山の勝道上人は、下野薬師寺において、鑑真和上とともに日本に渡ったイラン系ソグド人の僧、如宝の元で正式な僧になったという。 勝道上人の業績は、空海も『性霊集』の中で詳しく触れている。 忍性の推薦で金沢の称名寺の開山となった審海は、もとは下野薬師寺の僧で、鎌倉時代に下野薬師寺を最高した慈猛の弟子だったが、忍性に見出されてこの地を離れて金沢に向かった。 審海については、これまでよく知っていたので、意外な下野薬師寺との繋がりに驚かされた。 興味のあるテーマがたくさんあって、見終わった後にお腹がいっぱいになり、これからも余韻に浸りたいと思わせてくれた、そんな内容の展覧会だった。 A special exhibition commemorating the 40th anniversary of the opening of the Tochigi Prefectural Museum. Focusing on Shimotsuke Yakushiji, an ancient temple said to date back to the Asuka period, this large-scale exhibition introduces the relationship with famous monks related to this temple, including Ganjin Wajo, who brought authentic Buddhism to Japan. Since the them

蒔絵コレクション(根津美術館) simply Maki-e (Nezu Museum)

  根津美術館の蒔絵コレクションを展示した企画展。 蒔絵と言っても色々な工芸品があるが、今回は、蒔絵の硯箱、経箱、印籠、婚礼丁度品などが展示されていた。 やはり見所は、重要美術品が目白押しの煌びやかな硯箱の数々だった。 日本らしい花鳥風月や、古今和歌集に歌われた情景が、金粉などを使い驚異的なテクニックによって表現されていて、いつまでも見飽きないような小さな世界が、それぞれの蒔絵の硯箱に描かれていた。 花白河蒔絵硯箱は、足利義政が所有していたが、その後、江戸時代には松花堂昭乗の手にわたったという伝世の名品。 大阪の豪商が売りに出した際に、根津嘉一郎が高額で買取、根津の名前が一躍美術界に轟いたという。 印籠は江戸時代を代表する工芸品の一つだが、表面には蒔絵が描かれているものが多い。 小さなキャンバスに、ミニチュアールのような趣で様々なテーマが表現されていて、腰に下げられていたというそうした印籠が目に入ったら、当時の人々は思わずその美しさに見入ってしまっただろう。 A special exhibition of the Makie collection of the Nezu Museum. There are various kinds of crafts in maki-e, but this time, maki-e inkstone cases, sutra boxes, inrō, wedding ceremony items, etc. were on display. The highlight was the gorgeous inkstone case full of important works of art. Scenes sung in ancient and modern waka poetry collections, as well as the natural beauty of Japan, were expressed with amazing techniques using gold powder, and small worlds that never got tired of being seen were drawn on each maki-e inkstone box. The Hanashirakawa Maki-e

イッタラ展(Bunkamura ザ・ミュージアム) iittala, Stars of Finish (Bunkamura, the Museum)

  フィンランドを代表するイッタラ社の歴史を振り返りながら、歴代のデザイナーの作品を楽しむ、という内容の展覧会。 イッタラ社は1881年に同名の村でガラス工場としてスタートした。初めは、美しいが、ごくありがちなガラス機を制作していたようだが、やがてアアルトなどの新進デザイナーの作品を通じて、フィランドを代表するブランドになっていった。 会場には、そのアアルトを初め、カイ・フランク、タピオ・ヴィルカラ、ティモ・サルパネヴァ、オイバ・トイッカなど、お馴染みのデザイナーたちの作品が並んでいた。 北欧デザインがブームになり、これまで何度となく、フィンランドのデザイン展や、フィンランドのガラス器や陶器の展覧会、アアルトやカイ・フランクらの個々のデザイナーの展覧会などが行われてきた。 このイッタラ展で展示されていた作品は、これまでどこかで目にしたことのある作品が多かったが、何度見ても、そのシンプルながら奥深いデザインには目を奪われてしまった。 中でも、フィンランドの森の中からふっと現れてきたような、フィンランドの自然をテーマにしたタピオ・ヴィルカラの作品はとりわけ心に残った。 フィンランドを訪れた時に、ヘルシンキの郊外にある森と泉を歩いた時の記憶が、自然に蘇ってきた。 An exhibition that looks back on the history of Iittala, one of Finland's leading companies, and enjoys the works of successive designers. The Iittala company started as a glass factory in the village of the same name in 1881. At first, it seems that they produced beautiful but very common glass machines, but eventually they became a brand that represents Finland through the work of up-and-coming designers such as Aalto. At the venue, works by well-known

柳宗悦の心と眼(韓国文化院) Muneyoshi Yanagi's Mind and Eyes (Korean Cultural Center)

  柳宗悦が『朝鮮とその芸術』を刊行して100周年を記念する展覧会。 柳宗悦は、25歳の時に知り合いの浅川伯教から送られた朝鮮の小さな素朴な味わいの染付の壺を見せられてから、朝鮮の工芸品に深く心を奪われるようになった。 やがてその興味は、朝鮮のみならず日本の工芸品にも向けられるようになり、民藝運動を始める大きなきっかけとなった。 会場には、柳が初めて朝鮮を訪れた時の石窟庵の調査ノート、「朝鮮人をおもう」などの文章の直筆の原稿、朝鮮の美術に関する柳の書籍、柳が朝鮮を訪れた時の写真、日本民藝館に収蔵されている朝鮮の工芸品などが展示されていた。 柳が朝鮮の工芸に出会った当時、朝鮮は日本の植民地で、柳のようにその文化を称賛する人物は、全くの少数派だった。 改造という雑誌に1922年に掲載された、ソウルの光化門取り壊しに反対する柳の文章は、当局によりその一部が伏字になっている。 そこまでして朝鮮の文化の素晴らしさを伝えようとした柳という人物は、時流に流されない、意志の強い人物であったことがよくわかる。 1924年に柳の念願だった朝鮮民族美術館が完成した。柳はその後、日本において民藝運動を起こすことに集中し、1936年に日本民藝館を開館する。 柳宗悦という人物の中で、朝鮮の美術や工芸やいかに重要な位置を占めていたのか、この展覧会で改めて時間することができた。 An exhibition commemorating the 100th anniversary of the publication of Muneyoshi Yanagi's "Korea and its Art". Muneyoshi Yanagi became deeply fascinated by Korean crafts after being shown a small, rustic-looking Korean dyed pot sent by his acquaintance, Noritaka Asakawa, at the age of 25. Eventually, his interest turned not only to Korean crafts but also to Japanese crafts, which became a major impe